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都人の学問と研究

学問と研究 哲学・仏教

琴引浜に大量のゴミ

日本で最大級の鳴き砂の浜京都府京丹後市(旧網野町)にある琴引浜は、砂の上を歩くとキュッと鳴る砂、「鳴き砂(鳴り砂)」と呼ばれる石英を含んだの白浜です。 その琴引浜に大量のゴミ
鳴き砂で有名な白砂青松の景勝地で、全長は1.8キロメートル。
音の発生は砂粒の表面摩擦に起因する砂層の振動によるものと考えられているが、その詳細なメカニズムはまだ分かっていない。

日本に存在する鳴き砂を持つ海岸は約200ヶ所におよび、そのうち現在でも音を発する地域は、程度の差はあるものの150ヶ所以上存在する。
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宝ヶ池

一応宝ヶ池には「釣り禁止」ということが書かれていますが、釣りをする人を抑止するにはそういう注意喚起では物足りません。重要なのは、宝ヶ池の周りを仲良く散歩しているカップルや、ウォーキングやジョギングなどをしていらっしゃる方全員が、監視員になることです。

宝ヶ池のガチョウ 宝ヶ池のガチョウ2

宝ヶ池公園内にいます。


夏の七草

1945年6月に日本学術振興会学術部 野生植物活用研究小委員会が、戦時中の食糧難の時節にも食べられる植物として、7種類の植物を「夏の七草」に選定したそうです。

バイクで雪道走行

バイクでの雪道走行は意外と地面が凍らなければ大丈夫です。特に降りたての新雪はそこそこタイヤに食いつきます。一番危ないのは氷水のぐちゃぐちゃの箇所の上で曲がる場合です。
なるべく停止をせずに発進時の空回りを防ぎ、あとはいかに車体を安定させるかとRを大きく描くかだけの問題になります。

バジル

バジルはシソ科メボウキ属の多年草です。和名はメボウキ。バジリコはイタリア語です。成長初期段階では草のような茎ですが、成長すると木になっていきます。
バジルは草っぽく育って、だんだん大きくなると木のようになっていきます。

シソ科のホトケノザ

こちらは紫の唇形状の花を付けます。三階草とも呼ばれます。春の七草の方はコオニタビラコという名前もあるので、謂わばホトケノザという呼び方は「あだ名」みたいなものですね。

プラトンとイデア

我々の魂は、かつて天上の世界にいてイデアだけを見て暮らしていたのだが、その汚れのために地上の世界に追放され、肉体という牢獄に押し込められてしまった。そして、この地上へ降りる途中で、忘却の河を渡ったため、以前は見ていたイデアをほとんど忘れてしまった。だが、この世界でイデアの模像である個物を見ると、その忘れてしまっていたイデアをおぼろげながらに思い出す。このように我々が眼を外界ではなく魂の内面へと向けなおし、かつて見ていたイデアを想起するとき、我々はものごとをその原型に即して、真に認識することになる。

変化していないように見えるのは巨視的に見ているからです。つまり「ざっくり」みているからで、普通に考えれば変化しないはずがありません。巨視的な見方で捉えていたものを、少しだけ微視的に捉えたとしても、物質が存在していようが温度での膨張などが確実にあります。そして見ているということは光の量も外部的にも変化すれば、瞳孔の開き方も一定ではありません。プラトンはその先にイデアというものを考えましたが、それは観念です。人間が知りえないものでもなんでもなくて、捉えられないが感じている、というようなことです。それが実在するわけでも、永続するわけでも、神がつくりだしたものでも何でもありません。それが「あって」「把握できた」ところで何になるのでしょうか。プラトンとイデア

哲学分類

言語哲学  言語とは何か、言語の意味や形式や言語と真理の関係。
分析哲学  論理的言語分析の方法に基づいて、哲学の諸問題 。
宗教哲学  神の存在等、宗教的概念について。
倫理学  倫理・道徳について。
法哲学  法について哲学的に検討。
政治哲学  政治、様々な統治の様態にはじまり、政治的正義、政治的自由、自然法一般など。

哲学

哲学 2

元々知ることについて突き詰めることを意味していたため、学問全般についての言葉であったが、現代においては「言葉の意味を決め、主観的にならないようにして理論を作っていくこと」を意味する。哲学者による知の探求一般。学問全般。こうした哲学を行っていた哲学の専門家は哲学者と呼ばれていた。世界・人生などの根本原理を追求する学問。古代ギリシャでは学問一般として自然を含む多くの対象を包括していたが、のち諸学が分化・独立することによって、その対象領域が限定されていった。しかし、知識の体系としての諸学の根底をなすという性格は常に失われない。認識論・論理学・存在論などを含むとても抽象的な意味であるため、様々な分野において○○哲学という言葉が存在する。特定の事象ではなく、全体にとって言えるような普遍的な事柄について考えることが多いため、哲学では具体的でないものについて考えることが多い。

哲学

philosophy 哲学

観念論的・唯物論的な形而上学など。フィロソフィア。元来「philosophia」は「知を愛する」「智を愛する」という意味が込められている。学問としての哲学で扱われる主題には、真理、本質、同一性、普遍性など。philosophy 哲学 絶対的存在の想定型、主観と客観の対峙型、全体的なシステムの想定型 「哲学」と「思想」を峻別するという哲学上の立場がある。永井均は、哲学は学問として「よい思考」をもたらす方法を考えるのに対し、思想はさまざまな物事が「かくあれかし」とする主張であるとする。他の学問と哲学を区別する特徴となるような独自の方法論が哲学にあるかどうかというのはなかなか難しい。哲学者は物理学の成果を参照し、それを手がかりに哲学的思索を行うことはあるが、現代において物理学者が(自然)哲学の成果を積極的に参照することは少ない。また哲学と宗教との差異として、「疑う」態度の有無が挙げられることがある。広義の哲学は思索を経て何かの意見や理解に辿り着く営みであり、結果形成されたり選ばれたりした思想、立場、信条を指すこともしばしばある。