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都人の学問と研究

学問と研究 哲学・仏教

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固定観念との向き合い方

固定観念との向き合い方。思い込みとはつまり観念であり、ある程度固定化されているものは固定観念と呼ばれます。固定観念が様々な「苦」を形成しています。

固定観念との向き合い方

しかし、本来はその場をダイレクトに感じればそれで良く、嬉しさに固定観念は必要ではありません。あってもいいですが、必須条件ではありません。

固定観念への態度
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人生はそれぞれの時期でそれぞれの良さがある

人生はそれぞれの時期でそれぞれの良さがある。
また、哲学的な「時間」の性質上、人生で一番良かった時期は「未来」でも成り立つ。
「人生で一番良かった時期はいつですか?」というような質問を投げかけ、結局「過去を振り返ってはいけない。今が最高であると言わなければならない」というような事を言う人がいる。
しかしながら、人生はそれぞれの時期でそれぞれの良さがあるし、「一番良かった時期」を未来に置くことだってできる。

人生で一番良かった時期







紙一重の詰めの甘さ

紙一重の詰めが甘さがあると結果が台無しになることもある。
予測した結果よりも随分と低い結果になってしまう事がある。

紙一重のところで詰めが甘く、結果的に平均的なものになってしまうということも起こる。おそら無意識的にある程度うまくいくと、うまくいきすぎないように調整が入り、結果を良くないものにしてしまう。

紙一重の皮算用

耳学問の固定観念

耳学問によっても固定観念が形成される。フレーズをあまり吟味しないまま解釈して固定観念化されると、問題が生じるほどの極端に走ることがある。
情報は都合の悪そうな注意部分が隠されていることがある。
そうして隠された情報により偏りが生じた状態で解釈を始めると誤謬に行き着く。
無尽蔵の耳学問

錯覚としてのゼロと不足感

錯覚としてのゼロと不足感。不足感はゼロの概念、ゼロの錯覚より生起する。
本来、自分が認識しているものだけが「ある」であり、ゼロは想像上のゼロでしかない。
記憶や想像とのギャップがあった時に想起される錯覚が無いという印象である。
本来ゼロという概念は数学的空間の中にだけあるものである。

ゼロという概念は「無」ということを意味するが、本来自分の認識の中には「有」しかなく、空白であるはずのものに対して不足感が起こる。仮に短期的な記憶すら無い場合、ゼロの錯覚は起こりえない。
ゼロの錯覚により不足を感じることで求不得苦や愛別離苦が起こる。
自我意識、そして記憶によりゼロの錯覚が起こり、「無い」という前提による思考が起こる。
そして不足の判定が起こり、苦を得ることになる。
ゼロの錯覚

民俗学勃興時の意図と現代の民俗学的な逃れ方

民俗学勃興時の意図と現代の民俗学的な逃れ方。

民俗学とは、民俗文化を内側から明らかにしようとする学問であるが民俗学勃興時の意図としては、ヨーロッパ諸国において中央集権的なものに対する対抗として勃興した。では,自地域の民族の調査研究を民俗学と位置づけ、現代生活のなかに伝承される文化がいかに表現されいかなる形で存在しどのように推移してきたかを同国人的・同時代的な感覚を捉えそれが起こった理由を追及する。
現代の直接的な強制ではないが、物事のあり方、選択を制限する画一的な基準に対する対抗として、民俗学的な逃れ方が有効的である。
画一的なものに対する民俗学的脱出