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都人の学問と研究

学問と研究 哲学・仏教

諸法無我(しょほうむが)と諸法非我(しょほうひが)

諸法無我(しょほうむが)・諸法非我(しょほうひが)共に、全ては縁起によって起こっており、固定的な「我」というものは無く、我は「我ならざるもの」という意味を持つ。



中村元によるダンマパダの日本語訳には、「一切の事物は我ならざるものである」(諸法非我)と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である、と示され諸法非我の方が用いられている。

諸法無我(しょほうむが)


諸法無我(しょほうむが)・諸法非我(しょほうひが)は、デカルトのコギト・エルゴ・スム「我思う故に我あり」の否定であり、「我あり」ではなく、我も我ならざるものであるということを示す。しかし「我がない」ならばデカルトもコギトのような帰結にもならなかったであろう。そうしたことから、無我とするのは適訳ではない。
そこで無我と表現されたことの意味を考えると、バラモン・ヴェーダ文化の中で考えられていた、「アートマン・真我・魂の実在」の否定の要素がある。諸法非我の方が適訳だが、諸法無我の意味するところには、ヴェーダの中の「アートマンは不滅」と考えられていた部分を否定するという要素も含まれている。諸行無常と異なり諸法無我は「分かりにくい理」であるが、これも三宝印四法印の一つとされている。

諸法無我
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不殺生の定義と不殺生戒

不殺生の定義と不殺生戒。不殺生戒(アヒンサー)は、仏教者が守るべき出家十戒、在家五戒のうち、最も重要だとされている戒めであり、「生き物を殺してはならない」というもの。



仏教の戒律とは、悟りを求める修行において自発的に守ろうとする戒め。また狭義のアヒンサーは非暴力、不傷害という意味を持ち、バラモン教、ヒンドゥー教、ジャイナ教にもある。さらに、ユダヤ・キリスト・イスラムにおいてもモーセの十戒に「人を殺してはならない」という律法がある。

不殺生の定義、不殺生戒の意味


こうした不殺生の定義、不殺生戒の意味については各論がある。
不殺生戒と人を殺してはいけない理由

  • 不殺生戒 生き物を殺してはいけない
  • 不偸盗戒 盗んではいけない
  • 不邪淫戒 不道徳な性的行為を行ってはならない
  • 不妄語戒 嘘をついてはいけない
  • 不飲酒戒 酒を飲んではいけない



自由意志論

自由意志論。自由意志の問題とは意志そのもの、「どのように思うか」が自由であるかについて直接的な問いかけをするものであり、意志の成立過程を対象とする 因果的・単調的決定論とは、未来の事象は自然法則を伴う過去および現在の事象によって必然化されているという主張。



哲学と社会学の両側面から自由意志を考えていくとそうした自由意志論が見えてくる。自由意志において理論的認識の妥当性は因果律が支配する現象界に限定されるから、自由の存在は理論的には証明不可能。自由意志=他から束縛されず自らの責任において決定する意志というのは、社会学的自由意志であり、自由意志と道徳的責任に関する議論。


自由意志を哲学と社会学的帰責から



言葉の乱れと愚俗の言葉

言葉の乱れと愚俗の言葉。言葉の乱れというものが問題視されることがあるが、意図的に相手には通じないように話すということをもって、所属する集団を保護するという事も起こりうるため、社会的機能として別の面で機能を持っている面がある。新しい言葉がどんどん生まれるということは必然的であり、別の側面で意味をなす。
しかしながら、そうした意図的な使用ではなく、単に共感が乏しい故に「相手は前提知識がなく理解することができない」ということがわからぬまま意味が通じにくい話し方をするという場合がある。
これらは愚俗のことばにて

真理とは「真なる」「理(ことわり)」

真理とは「真なる」「理(ことわり)」である。定義上、再現可能性があり、普遍性があるものが真理である。
真理とは、誰にでも再現可能であり、今すぐに確認できるものであり、誰かの主義や考え方で変更できない 真理とは何か?
自分たちが盲信している聖書などの聖典に書いてあるから「真理だ」という人がいるが、それは理屈が通るだろうか?
誰にでも納得できるようなものが真理であり、信仰の有無で変化するようなものは真理とは言わない。

人生はそれぞれの時期でそれぞれの良さがある

人生はそれぞれの時期でそれぞれの良さがある。
また、哲学的な「時間」の性質上、人生で一番良かった時期は「未来」でも成り立つ。
「人生で一番良かった時期はいつですか?」というような質問を投げかけ、結局「過去を振り返ってはいけない。今が最高であると言わなければならない」というような事を言う人がいる。
しかしながら、人生はそれぞれの時期でそれぞれの良さがあるし、「一番良かった時期」を未来に置くことだってできる。

人生で一番良かった時期



能ある鷹は爪を隠す

能ある鷹は爪を隠すとは、実力者ほど才能や能力を見せびらかせることはしないというような意味であり、「実力のある者は、軽々しくその能力を見せつけるようなことをしない」というものであるがこの言葉は出る杭を打つの如く利用される場合がある。




能ある鷹は爪を隠す

実質的な実力を持ったものは、みだりに人にその能力を見せびらかすようなことはしない、ということのはずが、「調子に乗るな」という意図で使用されることがある。能ある鷹は爪を隠すという言葉を悪用するというケースも有るということになる。

紙一重の詰めの甘さ

紙一重の詰めが甘さがあると結果が台無しになることもある。
予測した結果よりも随分と低い結果になってしまう事がある。

紙一重のところで詰めが甘く、結果的に平均的なものになってしまうということも起こる。おそら無意識的にある程度うまくいくと、うまくいきすぎないように調整が入り、結果を良くないものにしてしまう。

紙一重の皮算用

耳学問の固定観念

耳学問によっても固定観念が形成される。フレーズをあまり吟味しないまま解釈して固定観念化されると、問題が生じるほどの極端に走ることがある。
情報は都合の悪そうな注意部分が隠されていることがある。
そうして隠された情報により偏りが生じた状態で解釈を始めると誤謬に行き着く。
無尽蔵の耳学問