文学作品等に見られる「反省」や「勇気」 学問 2022年01月22日 0 文学作品等に見られる「反省」や「勇気」。そして「今の自分よりも立派な人間になろう」という決意。「保護される存在から自立した存在へ」という過渡期に起こる精神の変化。これは小説等の文学作品だけでなくマンガやアニメでも見られる。 反省と少しの勇気と決意 PR
「確からしさ」という意味を持つ蓋然性 学問 2021年10月15日 0 蓋然性(がいぜんせい)は、「確からしさ」という意味を持つ。確実性の度合いの問題であり、「おそらくそうだろう」というような確実性の度合いのことを意味する。 蓋然性(がいぜんぜい)
信仰、主義、信念など選択が可能なもの 学問 2021年09月29日 0 信仰、主義等々信念など選択が可能なものにしか過ぎず、宗教の教義、書き換え可能な信念には不完全な論理構造が潜んでいる。確実であると示し得ない構造を持っている不可知領域について、信仰というものによって他を排斥しているのみである。 書き換えが可能な信念
抽象化した空性から知足を捉える 学問 2021年09月29日 0 吾唯足知・吾唯知足・「知足」を空性から考えてみた場合、「ある」と「ない」を抽象化した空性から知足を捉えると得た状態への移動、充足への移動が直感として理解できる。 空性から捉える「知足」
紙一重の詰めの甘さ 学問 2021年03月19日 0 紙一重の詰めが甘さがあると結果が台無しになることもある。 予測した結果よりも随分と低い結果になってしまう事がある。 紙一重のところで詰めが甘く、結果的に平均的なものになってしまうということも起こる。おそら無意識的にある程度うまくいくと、うまくいきすぎないように調整が入り、結果を良くないものにしてしまう。 紙一重の皮算用
言葉の乱れと愚俗の言葉 学問 2020年07月10日 0 言葉の乱れと愚俗の言葉。言葉の乱れというものが問題視されることがあるが、意図的に相手には通じないように話すということをもって、所属する集団を保護するという事も起こりうるため、社会的機能として別の面で機能を持っている面がある。新しい言葉がどんどん生まれるということは必然的であり、別の側面で意味をなす。 しかしながら、そうした意図的な使用ではなく、単に共感が乏しい故に「相手は前提知識がなく理解することができない」ということがわからぬまま意味が通じにくい話し方をするという場合がある。 これらは愚俗のことばにて
能ある鷹は爪を隠す 学問 2020年04月18日 0 能ある鷹は爪を隠すとは、実力者ほど才能や能力を見せびらかせることはしないというような意味であり、「実力のある者は、軽々しくその能力を見せつけるようなことをしない」というものであるがこの言葉は出る杭を打つの如く利用される場合がある。 能ある鷹は爪を隠す 実質的な実力を持ったものは、みだりに人にその能力を見せびらかすようなことはしない、ということのはずが、「調子に乗るな」という意図で使用されることがある。能ある鷹は爪を隠すという言葉を悪用するというケースも有るということになる。
良い状態との別れも愛別離苦 学問 2020年01月20日 0 良い状態との別れも愛別離苦であり、過去の記憶からの期待から外れるというのも求不得苦的でありながら愛別離苦の属性を持っている。相手に好意があれば生じる苦しみが愛別離苦である。 その苦しみの元凶、「変化」は、別離だけではない。 愛別離苦(四苦八苦の一つ)
動物の行動への意味付け 学問 2019年11月30日 0 動物の行動への意味付けは、結局のところ推測の域を出ないような気がします。確かに「こういう時はこうだ」とか、「こうした後はこうする」とかそうしたことは推測することができても本当の意味はわからないという感じになります。 そうした時に推測に利用するのが自分の感覚であり、動物の中でも特に哺乳類であれば何となく推測しやすいという感じになります。逆に若干構造の異なる爬虫類や魚類などであれば推測はしにくいという感じになります。よって、身体の構造がかけ離れている存在ほどぞんざいに扱われる傾向にあります。 動物の行動の真の意味
哲学的に捉える仏教の四苦八苦 学問 2019年09月17日 0 仏教の四苦八苦を哲学的に捉える。四字熟語としての四苦八苦の一般的な用法は、上手くいかずに悶えるというような印象であるが、本来はあらゆる苦しみを示したものを総した苦しみの概念となる。 四苦八苦 あらゆる苦しみ 四苦八苦は、仏教用語であり、生苦、老苦、病苦、死苦の生老病死」と合わせて、嫌いな人と会わねばならぬ「怨憎会苦」、愛するものと別れる苦しみである「愛別離苦」、求めても得られない苦しみである「求不得苦」、5つの構成要素・素因である色受想行識に対する執着から起こる「五蘊盛苦(五盛陰苦/五取蘊苦)」という苦しみで構成されている。 仏教の「苦」とは、単に苦しいということではなく「思い通りにならない」という意味であり、「苦しみ」は、「思い通りにならない」という不満・不完全を意味するパーリ語の「ドゥッカ)」。
涅槃寂静は気づきから起こる 学問 2019年08月13日 0 涅槃寂静は気づきから起こる。知識の習得によって理解の先にあるものではなく、事実の観察によって気づきが起こり、気づきから涅槃寂静にたどり着くというプロセスになる。 涅槃寂静を理解することはできない
蓋然性 学問 2019年08月07日 0 社会は蓋然性の高さで成り立っている。ある事柄が起こる確かさが蓋然性(がいぜんせい)。 蓋然性(がいぜんせい)とは、「確からしさ」というような感じの意味を持ち、「おそらくまあそうだろうなぁ」というような確実性の度合いのこと蓋然性とあいまいさ 事物の生起やその知識の確からしさの度合いが蓋然性。確実性や可能性とは若干異なる概念である。蓋然性は高い、低いで表現する。蓋然性を数量化したものが確率。 蓋然性の高さの問題と曖昧性の問題。その線引、どの程度を許容するのかのあいまいさが、思考に混乱をもたらす。 絶対的な確実性をもったものを示し得ないため、法律の分野などでは、この蓋然性の概念が用いられる。ただどの程度なら良いのかという感覚、あいまいさが、時に混乱を招くことがある。主観的になりうる部分でもあり、線引が難しい。
諸法無我の「一切の事物」 学問 2019年04月15日 0 諸法無我の「一切の事物」は、外界に限定されるわけではなく、接触から起こったりする五蘊にも対応する。「一切の事物は我ならざるものである」(諸法非我)と明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。 諸法無我(しょほうむが)と諸法非我(しょほうひが)