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都人の学問と研究

学問と研究 哲学・仏教

蓋然性

社会は蓋然性の高さで成り立っている。ある事柄が起こる確かさが蓋然性(がいぜんせい)。
蓋然性(がいぜんせい)とは、「確からしさ」というような感じの意味を持ち、「おそらくまあそうだろうなぁ」というような確実性の度合いのこと蓋然性とあいまいさ
事物の生起やその知識の確からしさの度合いが蓋然性。確実性や可能性とは若干異なる概念である。蓋然性は高い、低いで表現する。蓋然性を数量化したものが確率。



蓋然性の高さの問題と曖昧性の問題。その線引、どの程度を許容するのかのあいまいさが、思考に混乱をもたらす。
絶対的な確実性をもったものを示し得ないため、法律の分野などでは、この蓋然性の概念が用いられる。ただどの程度なら良いのかという感覚、あいまいさが、時に混乱を招くことがある。主観的になりうる部分でもあり、線引が難しい。

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民俗学勃興時の意図と現代の民俗学的な逃れ方

民俗学勃興時の意図と現代の民俗学的な逃れ方。

民俗学とは、民俗文化を内側から明らかにしようとする学問であるが民俗学勃興時の意図としては、ヨーロッパ諸国において中央集権的なものに対する対抗として勃興した。では,自地域の民族の調査研究を民俗学と位置づけ、現代生活のなかに伝承される文化がいかに表現されいかなる形で存在しどのように推移してきたかを同国人的・同時代的な感覚を捉えそれが起こった理由を追及する。
現代の直接的な強制ではないが、物事のあり方、選択を制限する画一的な基準に対する対抗として、民俗学的な逃れ方が有効的である。
画一的なものに対する民俗学的脱出

固定観念との向き合い方

固定観念との向き合い方。思い込みとはつまり観念であり、ある程度固定化されているものは固定観念と呼ばれます。固定観念が様々な「苦」を形成しています。

固定観念との向き合い方

しかし、本来はその場をダイレクトに感じればそれで良く、嬉しさに固定観念は必要ではありません。あってもいいですが、必須条件ではありません。

固定観念への態度

無題

動物の行動への意味付けは、結局のところ推測の域を出ないような気がします。確かに「こういう時はこうだ」とか、「こうした後はこうする」とかそうしたことは推測することができても本当の意味はわからないという感じになります。



そうした時に推測に利用するのが自分の感覚であり、動物の中でも特に哺乳類であれば何となく推測しやすいという感じになります。逆に若干構造の異なる爬虫類や魚類などであれば推測はしにくいという感じになります。よって、身体の構造がかけ離れている存在ほどぞんざいに扱われる傾向にあります。

動物の行動の真の意味








古典雨月物語 菊花の約(きっかのちぎり)

上田秋成が安永五年(1776年)に出した雨月物語。「靑々たる春の柳、家園(みその)に種ることなかれ。交りは軽薄の人と結ぶなかれ」で始まり「咨軽薄の人と交りは結ぶべらかずとなん」で終わる。清貧を好む儒学者「左門」と病に倒れる武士「赤穴宗右衛門 」が友人となり、義兄弟の契を結むところから話が始まる。

雨月物語の菊花の約(きっかのちぎり)