一切皆苦を抜いて三法印とする意図
生きることは苦であるということは、主義ではなく理として示されているはずだが、なぜ触れないのか?
そこには苦しみという概念を持ち出すことで宗教的な都合の悪さが生じるからではないかという部分がある。苦しみであると言ってしまえば人気が出ないというような感じだろうか。
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学問と研究 哲学・仏教
真理とは、誰にでも再現可能であり、今すぐに確認できるものであり、誰かの主義や考え方で変更できない 真理とは何か?自分たちが盲信している聖書などの聖典に書いてあるから「真理だ」という人がいるが、それは理屈が通るだろうか?