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都人の学問と研究

学問と研究 哲学・仏教

うさぎが死んだら

うさぎが寿命を迎え死んだらどうするか。
ウサギの死に際や死んだあと。 うさぎの死は、仕方のない事だと自覚しています。死を悲しみ、泣いても何も変わらない、もううさぎには何も伝わらないとわかっています。
うさぎの死
ウサギを含めた小動物は寝たきりになるとそれからが早い。 死が近い中、どれほど慈しむことができるかが重要である。
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隣人の足音などの騒音

隣人の足音などの騒音への解決策。
子供が走り回る時に生じる強烈な足音や振動。



足音や振動など隣の家の騒音への対処、隣人がもたらす騒音への対処。
騒音の環境基準と受忍限度。

足音や振動など隣の家の騒音への対処
こうした隣家、上階などから発生する騒音や振動にういては、民法の定めるところにより損害賠償が認められる場合がある。その基準となるのが受忍限度であり、騒音の大きさや常態性などが争点となる。鉄筋造のマンションでは上階が問題となりやすいが、木造アパート・テラスハウスなど壁の薄い傾向のある集合住宅の場合は、隣の家の音が響く場合が多い。


人の尊厳を尊重しない意識が特定の状況を作る

人の尊厳を尊重しない意識が特定の状況を作る。
ある特定の状況や状態、症状等々は固定化された問題ではなく、ある関係性の状態が形成されているからこそ起こっているという感じになります。
人の尊厳を尊重しない意識があると、相手の可能性を狭め、数ある可能性の中で好ましくない状況を呼び起こします。相手を一人の人間として、あらゆる可能性を秘めた尊い存在であるということを意識に上げられたのであれば、そのようなことは起こりません。
人の尊厳と可能性


諸法無我(しょほうむが)と諸法非我(しょほうひが)

諸法無我(しょほうむが)・諸法非我(しょほうひが)共に、全ては縁起によって起こっており、固定的な「我」というものは無く、我は「我ならざるもの」という意味を持つ。



中村元によるダンマパダの日本語訳には、「一切の事物は我ならざるものである」(諸法非我)と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である、と示され諸法非我の方が用いられている。

諸法無我(しょほうむが)


諸法無我(しょほうむが)・諸法非我(しょほうひが)は、デカルトのコギト・エルゴ・スム「我思う故に我あり」の否定であり、「我あり」ではなく、我も我ならざるものであるということを示す。しかし「我がない」ならばデカルトもコギトのような帰結にもならなかったであろう。そうしたことから、無我とするのは適訳ではない。
そこで無我と表現されたことの意味を考えると、バラモン・ヴェーダ文化の中で考えられていた、「アートマン・真我・魂の実在」の否定の要素がある。諸法非我の方が適訳だが、諸法無我の意味するところには、ヴェーダの中の「アートマンは不滅」と考えられていた部分を否定するという要素も含まれている。諸行無常と異なり諸法無我は「分かりにくい理」であるが、これも三宝印四法印の一つとされている。

諸法無我

不殺生の定義と不殺生戒

不殺生の定義と不殺生戒。不殺生戒(アヒンサー)は、仏教者が守るべき出家十戒、在家五戒のうち、最も重要だとされている戒めであり、「生き物を殺してはならない」というもの。



仏教の戒律とは、悟りを求める修行において自発的に守ろうとする戒め。また狭義のアヒンサーは非暴力、不傷害という意味を持ち、バラモン教、ヒンドゥー教、ジャイナ教にもある。さらに、ユダヤ・キリスト・イスラムにおいてもモーセの十戒に「人を殺してはならない」という律法がある。

不殺生の定義、不殺生戒の意味


こうした不殺生の定義、不殺生戒の意味については各論がある。
不殺生戒と人を殺してはいけない理由

  • 不殺生戒 生き物を殺してはいけない
  • 不偸盗戒 盗んではいけない
  • 不邪淫戒 不道徳な性的行為を行ってはならない
  • 不妄語戒 嘘をついてはいけない
  • 不飲酒戒 酒を飲んではいけない

極楽鳥花(ごくらくちょうか)ストレチア・レギネ

極楽鳥花(ごくらくちょうか)ことストレチア・レギネは、バショウ科(ゴクラクチョウカ科)ストレリチア属の半耐寒性多年草。英名バード・オブ・パラダイス(bird of paradise)。「花が極楽鳥に似ているから」という理由で極楽鳥花(ごくらくちょうか)と呼ばれる。

ストレチア・レギネ(極楽鳥花)

京都嫌いと洛中

京都嫌いと洛中について。洛外の人間が京都バッシングをしているようだ。
京都の侘寂を単なるプライドだと勘違いしている京都市内の洛外の人間がいる。
洛中人のその感覚は洛中で生まれ育たないとわからない。なお、御土居の内側が洛中、外側は洛外と区分けされている。京都の言葉は「いけず」だと言われるが、その言葉の意味をわからない、その奥にある真意をわからないのは京都人でも洛中人でもない。京都と洛中


カルト系宗教勧誘を論破しながら諭す

宗教勧誘を受けた時に曖昧なことを言うと相手は脈アリと思ってくる可能性がる。あくまで宗教勧誘者は善意で勧誘を行っているため断りにくいフシがあるが容赦はしないほうが良い。宗教勧誘カルト系宗教勧誘を論破しながら諭す方法。
洗脳カルト宗教の勧誘に来た人を逆に説法して脱洗脳を試みた

相手の幸せを思って勧誘行動を起こしているが、宗教勧誘のゴールは入信者を増やすことであり、それは狂気の世界に引き摺り込もうとしているということにもなる。
相手の宗教教義に対して論理的矛盾をつくことで基本的には論破可能であるが、キリスト教系カルト宗教なら聖書に沿った話、仏教系カルト宗教なら根本経典となる経典の話を元に相手を誘導するほうが感情的抵抗が少なくなる。

宗教勧誘のパターン


宗教勧誘のパターンとして、訪問による宗教勧誘の他、サークル勧誘やイベント参加を促すような宗教勧誘も横行している。

逆上するカルト信者

争いを避けるという教義から論争を好まない宗教勧誘者もいるが、基本的に観念が宗教の情報空間に入っているため、宗教勧誘中に逆上するカルト信者もいる。